2015年4月30日木曜日

リクルート時代をふりかえる vol8(真夏の飛び込み営業 その3)

今日は、初受注の思い出をお伝えしたいと思っています。

その前に、フェローシップも今月から第12期がスタートしました。
スタート月の4月は悔しい月間でした。
フェローシップがさらに上のステージを目指せるかどうか、、、。
過去の姿から脱皮できるかどうか、、、。
私自身も、そして社員一人一人、もっと汗をかかないといけないと思っています。
もっと勉強し、もがき、高い志をもって地道な一歩を踏み出す、努力を繰り返す。
もっと汗をかかないといけないと思っています。

ということで本題ですが、いや~、本気で汗かいてました!
スーツに塩の結晶ができてしまったこと思い出しました。。。。(とほほ)


7月から毎日ひたすらビル倒しの飛び込み営業。
時はバブル崩壊で超不景気。採用ニーズは枯れている。
なかなか数字はつくれない。
でも、同じ時期に営業をスタートした面々でどんどん受注をあげている人もいる。
多少のあせりは感じましたが、自分のやり方でいくぞと腹をくくり、実直にとにかく量をこなしていきました。朝から晩までひたすら。

結局、1ヶ月以上は受注はとれませんでした。
でも行動しているとネタがでてくるものです。

8月のお盆前だったと思います。
マンションのある一室に飛び込みました。
女性の社長が一人でやっているデザイン会社でした。
偶然でしたが、アシスタントが退職したばかりで、求人広告を出そうか考えていたのです。
「ぜひ、自分にやらせてください。」と意気込んでお願い。
「いくらなの?そんなにお金ないから、、。」と。
料金表を見せて話をしたところ、一番安い広告枠が限界だと。
”う、、。採用できるかな、、。でも受注ほしいし、、。”
結局、5~10万くらいの一番小さい枠の広告(媒体は確かガテンだったと思います)に。
なんと、その場で、申込書にはんこを押してくれたのです。
「やったね、初受注!!」とオフィスの同僚や上司は自分のことのように喜んでくれました。

最小枠だったので、原稿は営業が作成します。
キャッチに悩んでいたところ、リーダー格の先輩が「最少枠だし、キャッチははじけたほうがいいよ。普通じゃ効果でない。”ママさん社長、デザインアシ求む!” でどう?」と。
洗練されてないけど、いいかも、、と思い、原稿案を社長に持っていきました。
社長からは「何?かっこわるい。いやだわ。」と却下され、オーソドックスなキャッチに変わりました。
オフィスに戻ると、「え~、これにするの?もっと抵抗しないと。効果でないよ。」と言われましたが、もう元には戻れず、、。
今から思えば、当時の自分は流し仕事をしてしまったのです。

結果はさんざんでした。応募0、採用0という結果。
ころあいをみて社長をたずねました。「すみません、効果でなくて、、。」
社長から原因を聞かれたので、「キャッチが悪かったんだと思います。」と自分。
「は~?キャッチのせいにするの? 確かに私はキャッチを修正したけど、広告提案側として最善をつくしたの? 安い広告枠だから手ぬいたんじゃないの? あたなたちには大したお金じゃないかもしれないけど、私にとっては大金だったんです。その気持ちわかる?」と怒られてしまった。
”しまった、、、。” 言葉が出ませんでした。
「若いし、一生懸命だから発注したのに、、、。もう、来ないでください。別の手段考えますから。」と追い出されてしまいました。
その後、2度3度と足をはこびましたが、会ってくれませんでした。


初受注は苦い経験でした。
広告なので効果を保証するわけではないですが、流し仕事をしてしまった。最善をつくさなかった。お客様のニーズや事情を理解しようとしなかった。お金をいただくことの責任を理解してなかった。

この経験は、自分に大きな影響をあたえてくれました。

失敗にこそ学ぶことがある。若い内はたくさん失敗をしたほうがいい。
よくフェローシップの若手社員に言う言葉ですが、それは自分の実体験から出てくる言葉なんです。

ということで、本日の仲間通信をしめたいと思います。

次回のその4で真夏の飛び込み営業シリーズは最終にしようと思っています。
最後もやっぱり失敗談が中心かな~。



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小山 剛生 (こやま たけお)

株式会社フェローシップは、”仲間”を語源としてます!
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2015年4月27日月曜日

リクルート時代をふりかえる vol7(真夏の飛び込み営業 その2)

先週に引き続き、新人時代の第2Q(7月~9月)の営業現場への応援派遣の思い出です!

ブログを書き始めると、あんなことあったな~、こんなことあったな~と場面を思い出します。
「真夏の飛び込み営業」ネタはその3、その4くらいになるかもしれません。
飽きずにお付き合いいただければ幸いです!

ということで、本題へ。

短い営業研修が終わって、いよいよ営業初日。
新橋3丁目にあった港営業部に出勤すると、新品の名刺5箱くらいわたされ、「元気よく名刺獲得キャンペーンに行ってこい!」でした。

見本誌を数冊もって、ペラ1枚の自己紹介チラシ(名前、自己アピール文、似顔絵、取扱い製品などを書いたもの)を4~500枚もって、いざ戦場赤坂へ。

青山一丁目駅を降り地上にあがり、早速目の前のビルから飛び込んでいきました。
ビル名まで書いてある詳細地図を片手に。

赤坂の7丁目、8丁目、9丁目って、大きなビルもありましたが、オフィス住居兼用のマンションが多く、小規模会社もたくさんありました。
どこに中途採用のニーズがある企業があるのか、そんなことはまったくわからないので、とにかく手当り次第と決め、目の前のビルにはいってきました。

駅の目の前のペンシルビルのエレベーターで一番上にあがる。
エレベーターおりた目の前にドアが。
「ピンポーン」とベルを鳴らす。
「はい、」と中から人が。
「リクルートの小山と申します。中途採用のお手伝いで、、」
「あ、結構です。」 (バタンとドアがしまる。)
”お、こんな感じか。ま、そうだよな。気にしない気にしない。次次。”と。
で、一つ下のフロアの会社で、同じようにピンポーンと。
反応はほぼ同じ。

横のビルにうつります。
同じようにビル最上階にうつります。
「リクルートの・・」と言うと、間髪入れずに、
「あ、まったくいりません。もう来ないでください。」

”表通りのビルはだめかな、、少し裏通りのマンションをあたってみるか。”
オフィス住居兼用のマンションは1フロアに5~10の部屋がる。
オフィスなのか住居なのかよくわからない。1Fの郵便受けを見てもわからない。
考えていても進まないので、ま、とりあえず行ってみよう!
ピンポーンと。
「リクルートの・・」と言いながらドアを開けようとしたところ、
「おい、勝手にドア開けんな。リクルートだろ。もう来んじゃね。」
次の部屋に。
あ、、お住まいでしたね。すみません。。

う~、、なかなかうまくいかない。
ま、考えてもいたしかたないから、とりあえず行こう、行こうと。
そんな感じで、50~100社くらい飛び込んでると、名刺をくれる会社さんがあるんです。。

「名刺ですね。いいですよ。今はニーズないですが、出た際はよろしくお願いします。」と言われ名刺交換成功!
ちょっとうれしい。。

波は続く。

「大変ですね。暑いですよね。お茶でも飲んでいきますか。」なんて言われる。
「はい、いただきます!」とずーずしく上り込んでお茶飲んで帰る。

今から思えば、若さっていいな、、と。
怖いものがない。遠慮がない。

初日はそんな流れで1日が終わりました。ベルならした会社は2~300社くらいだったしょうか、、。
獲得した名刺は、確か20枚程度だったと思います。

当時は、メールなんて便利なものはなかったので、帰社後に、はがきか便箋にお礼の手紙を書いて投函したりしました。

名刺獲得も2日目以降は枚数も増えたように思いますが、素直じゃない自分は、ふつふつと疑問がわいてきたのです。
”訪問時に担当の方が留守の場合が多い。その方の名前を聞いたり、連絡先聞いたり、そういった履歴データを残さなくていいんだっけ。”と。

当時のリクルートは受注管理システムはありましたが、あくまでも受注後の情報が対象。
受注前の顧客管理システムはまったくない。
テリトリーも曖昧で、大勢の営業マンや代理店さんが自由に顧客に営業している状況。
社内バッティングも当然に発生しますし、一日5人も6人も同じ会社にリクルートの営業が飛び込み名刺をおいていくなんてことも日常茶飯事でした。

そのあたりの事情はよく知りませんでしたが、名刺獲得キャンペーンで動いてすぐに、これはおかしい~、もっと情報をストックし、有効活用すべきだ、、と感じてしまったのです。


”留守の担当の方の名前をメモし次回はその方宛にベルを鳴らしたら会える可能性が高まるのではないか、、、。”
”担当の方の帰社日時をメモし再訪のタイミングをのがさないとか、数か月先に採用ニーズがでるかもしれないなどの話があればその主旨をメモしタイミングをのがさないとか、、、。そういった情報はとても大切なのではないか、、、。”

じゃ、改善しようと。すぐ動きました。
(今から思えば、学生時代の自分は決してそんなタイプじゃなかった。社会人になって、リクルートに入って、新たな自分が芽生えてきたんだと思います。)

PCなんてもものはない時代。何を考えたかたというと、非常に原始的。
番地、ビル名、フロア階、会社名、訪問履歴を手書きでかける表をつくって、コピーしてフォーマット化しました。
で、飛び込みながら、ビル単位で会社リストをつくり、訪問履歴を記載していったのです。
はっきり言って、さくさく名刺獲得で飛び込んでいるほうが楽でした。
最初にビル1Fの郵便受けで会社名を記載し、エレベーターで上にあがって、ベルならす。訪問履歴を書く。もちろん対応いただいた方からもらった口頭情報をメモする。
見本誌もって、汗かきかき、ひたすら地道に繰りかえしていきました。
これからのリクルートには必要だと思ったのです。まずは自分が改善行動をして、全社に波及させればいい、、と思ってしまったのです。
そう思ったからには、この動きで訪問社数が減ってはだめだと、負けん気を発揮しました。
訪問社数、名刺獲得数も減らさず、ひたすらこだわりました。

そんな問題意識をもって、武骨にがんばりながらの営業スタートでした。。。

ということで、また時間がきてしまいました!

次回は初受注とか、失敗談とか、ふれてみたいと思います!




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小山 剛生 (こやま たけお)

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2015年4月24日金曜日

リクルート時代をふりかえる vol6(真夏の飛び込み営業)

久しぶりに連日のブログ更新です!

今日は、新人時代の第2Q(7月~9月)、人事から営業現場に応援派遣されたことをふりかえりたいと思います。

1992年(平成4年)4月にリクルートに新卒入社し、配属は人事部採用担当でした。
自分の就職活動は、バブル時代。
そんな流れの中、社会人スタートを切ったわけですが、その直後にバブルが崩壊しました。
リクルートもバブルのストライクど真ん中にいた会社だったのです。。。。。

入社1ヶ月後の5月だった思います。
その日はフレックスで10時出勤を予定していて、朝寝坊を楽しんでいた日でした。
突然母親が部屋に飛び込んできて、寝ている自分に「リクルート、ダイエーになっちゃたみたいよ。」と。
「は~?」
テレビを見ると、ニュースで創業者の江副さんや当時社長の位田さんが記者会見をしていました。
「ほんとだ、、。何が起きたんだろう、、、。」
あわててスーツを着て、会社にむかいました。

リクルートは関連子会社で不動産、不動産投資をしていて、バブル崩壊により1兆円以上の借金を返済できない状況に陥りました。
創業者の江副さんは大手企業の傘下に入り再建するしかないと考え、何社かの大企業に相談に行っていたようです。
その中で、リクルートの経営の独立性を一番約束してくれたのがダイエーの創業者中内氏で、江副さんはダイエーに自身の持ち株を売却する決断をしました。
当然に水面下での話で、一部役員しかしらない話だったようです。
全従業員、ダイエー傘下入りを、ニュースで知った状況でした。
リクルートに激震がはしった日でした。

前置きが長くなりましたが、そんなことが入社直後に起こりました。
社内は騒然。
つぶれるかもしれない、、。ロゴマークがオレンジになるのか、、。
ま、しっかり稼いで再建すればいいじゃん、、、。
いろいろな会話がなされてましたが、会社の方向は原点回帰。とにかく本業で儲けて借金を返すんだと。

当時200名くらいいた人事部採用担当でしたが、6月末をもってほとんどメンバーが営業現場に異動することになりました。
人の採用ではなく、日銭を稼げ!というわかりやすい人事でした。

私にも辞令があり、「お前はまだ若いから、来年以降の採用もしてもらわないといけない。だから、応援派遣。第2Qのみ営業してこい! 」と言われ、3ヶ月間だけ営業現場にでることになりました。
配属は、SJ事業部港営業部。
今ならリクナビネクストやとらばーゆやタウンワークなどあつかう部隊。
当時はB-ingやとらばーゆやガテンといった転職情報誌の求人広告を獲得する営業でした。

7月の第1週はSJ事業部で商品知識や営業などの研修をうけ、第2週から本格的な営業をすることになりました。
目標は月6件の広告(値段やスペースは関係なく)を受注してこい! だったと記憶してます。
で、最初は、名刺獲得キャンペーン!
今みたいにビル1Fでセキュリティーチェックはないので、色々なビルの最上階にあがり、ひたすら会社に飛び込み、フロア全体飛び込んだら階段で一つ下におりていく。
いわゆるビル倒しという、、、そんな飛び込み営業でした。

灼熱の真夏、転職情報誌の見本誌を持てるだけ持っての営業。
見本誌も分厚くて重い。
アスクルのカタログみたいな本で、5冊くらいもって、ポスティングするチラシ持ってなので、新橋駅につくまでに腕がパンパン、汗びっしょりという状況でした。

自分のテリトリーは、赤坂7丁目、8丁目、9丁目。
新橋から赤坂見附や青山一丁目まで銀座線で行き、赤坂という戦場でひたすら飛び込む毎日でした。

大変でしたが、今から思えば、これがまたいい経験!

恐いものなくなりました。打たれ強くなりました。根性がつきました!
そして、涙あり、笑いあり、怒りあり、感謝あり、そんなエピソードあふれる経験でした。

ということで、時間がきてしまいました。
本日の仲間通信はここまで。
次回、当時のエピソードにふれていきたいと思います!



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小山 剛生 (こやま たけお)

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2015年4月23日木曜日

コミュニケーション能力とは?

採用基準によく「コミュニケーション能力の高い人」とあります。

コミュニケーション能力ってなんだろう???

 「話のうまい下手か?」
 「主語述語目的語が明確でわかりやすい話ができるかどうかか?」
 「論理的な話ができるかどうかか?」
 「会話のキャッチボールがテンポよくできるかどうかか?」
 「表現豊かに伝える力があるかどうかか?」

難しいですよね。人によって定義が違うし、切り口も無限。

たまたま昨日、フェローシップ若手社員とコミュニケーション能力について話しました。
自分の目の前に座っている入社2年の26歳男性社員と。

彼は、派遣事業部の営業担当。
派遣案件の新規開拓営業や、稼働していただいている派遣スタッフの方々をフォローすることが仕事。
仕事は、派遣先、派遣スタッフ、社内のキャリアアドバイザーとコミュニケーションをとることが仕事といっても過言ではございません。

そんな仕事をしている彼は、コミュニケーション能力が高いのか?
いえいえ、決して高くありません。(ごめんね!自分の会社の社員だから多少厳しく見てます!)
言葉は明確ですし、語彙力もそれなりにありますし、主語述語もそれなりに明確。
会話していて話がずれることはそんなにありません。
時として、理解や洞察が浅い、会話に深みがないことを感じますが、それは若さや経験のなさが理由に思います。
時が経てば、年齢を重ねれば、経験していけば、コミュニケーション能力が高くなるのか、、。
実はそんなことないと思ってます。
もちろん、多少の進歩はするでしょうが、、、、。

では、コミュニケーション能力は高くならないのか、、、。
いえいえ、若く吸収力ある時期にちゃんと訓練すれば、高くなると思います。
誰もが一定のコミュニケーション能力は習得できると思っています。
そのためには、育てる側、教える側が、理論を勉強し、持論をもって、また相手の特徴を理解し、育てれば一定のレベルまで高くなる。(はず!!)

本日は、そんな彼に伝えた小山なりのコミュニケーションのポイントを共有したいと思います。


私はコミュニケーションの高い人は3つの側面で優れていると思っています。

1つ目は国語力。
適切な言葉、語彙、文法、文章、、、、一定の国語力がともなっていなければ、伝わるものも伝わりません。
さらに言えば、人によって言葉の定義や尺度は違います。
例えば「がんばります。」という言葉。これも人によって定義や尺度が違う。
ある人の「がんばる」はある人にとっては「がんばっているうちに入らない」、、。そういったギャップはよく起こります。
適切な国語力のある方は、そういった定義や尺度の違いを具体的な例をあげるなりして、なるべく差異をなくすことができます。

2つ目は感情表現。
対面なら表情や口調や声のトーンや大きさや身振り手振り。
メールや手紙であれば言葉づかいや最近でいけば絵文字やスタンプも。
事務的に淡々とした表現だったり、無反応だと、相手に伝わりづらいですし、逆に伝わっているのか不安に思われる。
「ありがとうございます」も、気持ちを込めてお辞儀をしながら言うのと、無表情で言うのは全然違いますよね。

3つ目は相手の気持ちを察する力。
相手から「大丈夫です」「問題ないです」と言われた。でも相手の本音は「大丈夫じゃない」。そのようなことって結構ありますよね。
相手の気持ちを察することができていれば、そういった問題は起こらない。
相手の気持ちを察するには、私は時間軸が一番大事と思っています。これまでの相手とのやりとり、経緯。小さいことの積み重ね。
また、相手の置かれている環境を把握することも大事。
そのあたりをおさえると相手の気持ちや感情を推測しやすい。察っしやすい。

私の持論はこの3つです。
そして、この3つは、訓練によって成長することができるのです。

私の目の前に座っている社員は、1つ目はそこそこ。2つ目と3つ目はまだまだ。
毎日のように、気づいたその瞬間につっこみを入れています。
そうすると、人間やっぱり学習する。

きっと、半年後、彼はコミュニケーション能力の高いビジネスパーソンになっているはず!!

ということで、本日の仲間通信でした!



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小山 剛生 (こやま たけお)

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2015年4月17日金曜日

異業種交流会もいいもんだ

昨晩、IT業界の方々がたくさん参加する「異業種交流会」に参加しました。

「DOC」という名称で、IT業界の方々がメインのイベント。
年2回のペースで、すでに10年くらいやっています。
なんと、4~500名くらい集まる大規模イベントです。

そのイベントの主催者の野下さんとは14,5年のおつきあい。
凄いよな~、たった一人で数百名集め、10年以上続けているんだから、、。
彼も10年くらい前に独立した起業家で創業当初お互いに情報交換したりしてました。

DOCスタート時はたまに顔出してしてましたが、その後まったく顔を出してませんでした。
最近、フェイスブックで野下さんと再会。
「たまには顔出してよ」とのお誘いで昨晩行ってまいりました。

その際、野下さんから、「幹事やって」と言われたので、末席幹事としてイベントのお手伝いもさせていただきました。


異業種交流会、いろいろなところで開催されていて、ちょこちょこと出席したりしますが、
昨晩は結構楽しかった。
参加されている方がとにかくエネルギッシュ、アグレッシブ。

ベンチャー起業家もたくさんいましたし、若いビジネスパーソンもたくさんいました。
色々な方々が野心や目的を持って参加し、お互いをぶつけあってる。
人脈つくろうと、ビジネスチャンスを探そうと、、、そんな互いの野心や融合を楽しんでいる。
エネルギーを感じました!
やはり人からの刺激って大事ですね!

で、そのイベント後、幹事の方々と二次会へ。
おもしろい話をたくさん聞きました。
スマホのセキュリティーや異業種交流会の裏事情などなど。
興味ある方は、個別に連絡くださいませ!

ということで、二次会の写真を掲載し、本日の仲間通信の締めとさせていただきます。
ジャックスパローもいたんですよ(笑)








2015年4月13日月曜日

リクルート時代をふりかえる vol5(忘年会という大仕事)

期初のばたばたに甘え、丸一週間仲間通信の更新をさぼってしまいました。

大変申し訳ございませんでした。


さて、本日は、リクルート時代をふりかえるvol5として、新人時代の大仕事の思い出を
書きたいと思います。


今にして思えば、新人時代の自分は本当に良い経験をさせていただきました。

過去の仲間通信でも書きましたが、入社一ヶ月目に「お前、会社辞めたほうがいいよ。」と言われ、
根本的に社会人としての自覚がないことを突き付けられたこと。

入社半年後の研修で、職場の同僚や先輩から協調性や配慮のないと思いっきり指摘され、
自分は自分のことを全くわかっていなかった、人に対する配慮を全くしてなかったことも
突き付けられました。

そんなこんなの新人時代、今回は忘れもしない年末忘年会について書いてみたいと思います。

当時のリクルートは、創業者江副さんが関西出身もあったんでしょうが、宴会は大変盛り上がる
風土の会社でした。
宴会だけでなく、まじめなキックオフミーティングも必ず催し物があり、漫才やらダンスやらと
とても素人が企画しているとは思えないほど笑いのクォリティーの高いものでした。

特に人事部は、話のおもしろい方が多い。企画力ある方が多かった。

自分は、学生時代に宴会芸などは無縁でしたが、
先輩から「小山、今年の忘年会はお前が幹事ね。」といきなり指名。
「まじですか! うゎ~、できっかな、、。皆を楽しませることできるだろうか、、、。」と不安一杯。
とはいうものの、「やれ」と言われたことを「できません」とはいえない。
やるしかない、で準備に入りました。

店の予約、店の下見などのハードの準備はなんとかなりましたが、問題はソフト。

乾杯は誰がやって、歓談やって、その後にクイズやって、漫才やって、一発芸やって、、、、、。
う~ん。何やったらうけるか?笑ってもらえるか?
悩みに悩み、、、。プレッシャーに押しつぶされそうな状態でした。

そんな中、宴会担当として自分を指名した先輩から、
「小山、今週末が忘年会やね。これからは当日までは、忘年会の企画準備が仕事やから。
 会議室一つつぶしていいぞ。部屋にこもって万全な準備をしろや。大仕事やで。」と。

そうなんです。年末の忘年会の週は、忘年会の準備しかしませんでした。

一人で別室の会議室でうんうんうなっていると、同期の仲間がのぞきに来てくれたり、
一つ上の先輩がのぞきにきてくれたり、、と。
「こんなゲームやってみたら、」とか「〇〇さんと〇〇さんにやっぱ漫才をやってもらうのがいいよ。」
とか、アドバイスをいただき、なんとなく企画が固まってくる。
自分も思い切って漫才をやろうと、同期とコンビを組むことにして、ネタをつくり練習しました。

そんなこんなで、忘年会当日。
新橋鳥森口側のお好み焼き屋。
狭い場所にぎゅーぎゅーづめに入ってもらいました。
自分は、必死に司会をしつつ、各催し物担当の方に出演してもらい、自分も漫才し、、、。
汗びっしょりでした。
そうしたら、同僚、先輩、上司、役員の方、、、。皆さんものすごく笑ってくれた。
皆さんもこの場を盛り上げようと汗を流してくれた。
本当にありがたい思いでした。

忘年会が終わった後は、へとへとでした。
で、「お前、準備に専念しろ。」と言った先輩社員が、「よ~、がんばった。おもろかったで~。」と
言ってくれた時は、感無量でした。

この経験で何を自分が学んだか。
苦手意識を持たずこれもご縁と思い腹くくってやってみるとなんとかなる、ということ。
そうするとあらたな自分に出会える、ということ。
そして、皆が盛り上がろうと思うと場が大きく変わること。

忘年会は大仕事でした。
今から思えば、本当によい、そしてありがたい経験でした。

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小山 剛生 (こやま たけお)

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2015年4月3日金曜日

人口知能、ロボット・・・。未来を考える。

本日の日経新聞一面記事「革新力」はおもしろかった。

全身が動かなくなり会話がまったくできなくなった男性の視線の動きを文字に変換する
特殊なソフトを使い、ロボットに自分の意思を語らせるという記事。
その男性の奥様が、ロボットを経由して、ご主人と会話を楽しんでいる。
いつでも家族や友人の輪の中に入っているという記事。


すごいと思った。

今週の日経ビジネス「人口知能」特集もおもしろかったが、自分には本日の記事のほうが、
インパクトがあった。

今後、人口知能は発展し、人口知能が内臓されたロボットが産業や人間社会の中に
活用されることは誰もが予測している。
人間がやっている仕事がロボットに代替される、ロボットは学習能力をもち、人間の感情までも
把握し、対応していく、、、。
人間が働くなくても生活ができる時代がくるのかもしれない。
場合によっては、感情をもったロボットが人間と戦うターミネーターの世界が起こるかもしれない。
そんなこと、未来を想像することは楽しいし、リスクやビジネスチャンスを考えることは楽しい。

でも、これまでは人間の代替、人間以上の働きをする代替、、、という議論が多かったが、
本日の日経新聞は切り口が違った。

ロボットが、人間の思いをくみとり、人間同士の交流を助け、生きがいを育むということ。

一昔前にあるIT会社が犬と会話をできる製品を開発したが、人間間だけでなく、動物や
生物と会話や交流が楽しめる時代が来るのかもしれない。
場合によっては、亡くなった方の脳細胞の一部だけを活かし、一生会話を楽しめる時代が
来るのかもしれない。

今日は未来を考えるちょっとした切り口をいただきました。

今日の記事のロボット開発者の方とお会いしたい、と思っています。


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小山 剛生 (こやま たけお)

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2015年4月1日水曜日

今期もよろしくお願いします。フェローシップ第12期スタート!

おはようございます。小山です。

本日、フェローシップ第12期スタートいたしました。

おかげ様で前期第11期も無事終え、新たなスタートがはじまりました。

前期は、いろいろなことがありました。

従業員を増やし、新たなことにもチャレンジし、、、。

うまくいったこと、いかなかったこと、たくさんありましたが、大変に充実し、
勉強になった一年となりました。


第12期、夢にむかって、フェローシップらしさをつくれるよう、
全社一丸となってがんばっていきたいと思っています。


本日、新卒第一号の社員が入社しました!
楽しみです。共に人生を歩んでいきたいと思っています!

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小山 剛生 (こやま たけお)

株式会社フェローシップは、”仲間”を語源としてます!
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